クリームソーダ

おシズは昭和3年に、千葉の勝浦だか、小湊ら辺で産まれた。

おシズのじいちゃんって人は、決して裕福でもなかったらしいんだけど、とにかく他人の為に身を粉にする様な、所謂「お人好し」だったらしい。

私がおシズから聞いた「おシズのじいちゃん」のエピソードは、

雨が降ると、アスファルト舗装なんてない時代だから、道が泥道になってグチャグチャになる。そこをみんなが通るのに困らない様に、大八車でせっせと砂だか乾いた土だかを運んで来ては、泥道を補修してたそうな。

とにかく他人の為にいつも全力投球な「おシズのじいちゃん」は、周囲の人達に有り難がられ、慕われる様なお人だったという。

その息子である「おシズの父ちゃん」という人は、絵に描いたような「酒浸りのクソ野郎」だった様だ。おシズには兄が1人、妹が2人、弟が1人と、幼くして亡くなった弟が1人いた様だけど、妹・弟達は後妻さんの子で、おシズの実母はおシズが産まれて間も無く離縁されていた。親父はさっさと再婚している。

とはいえ、昔の話だから、実母の住む家も徒歩圏内。おシズは一度だけ、母親に会いたくて実母の家まで行ったそうだが、「二度と来ちゃいけない」と言われて悲しかったと私に話した。

後妻さんは「シヅ子さん」だったが、親父が「おシズが2人では紛らわしいから」という理由で「カヅ子さん」に改名させられたらしい。何という安直。昔は珍しい事でもなかった様だけど。ともかくそのカヅ子さんは、あからさまに実子と継子に差を付けるタイプの「お母さん」だった。

「おシズが来る前に、早く食べちゃいなさい」とまんじゅうやミカンを貰っている妹達の姿を、陰から見ることが何度となくあって、おシズがその場に出て行ってみると、妹達がサッと後ろに隠す姿を、私は実演付きで何度も聞かされた。「惨めだったよぅ」と言っていた。

時代の所為もあっただろうが、おシズの「食」に対する執念とも呼べる執着と、甘いもん好き、そして「隠れてコソコソ食べるおいしさ」は、この頃に培われたと思われる。

 

ばぁちゃんは、しょっちゅう「隠れてコソコソ」団子やら何やら食っていた。

団子だろうがまんじゅうだろうが、好きなだけ食べたらいいものを、「コーヒーでも飲むかな」と階下に行くと、キッチンの床に座り込んでコチラに背を向け、コッソリ団子を食おうとしているばぁちゃんに出喰わす事が何度もあった。

気配を察知すると「ビクッ(バレたっ!)」という顔で振り向き、「アンタ、団子があるから1本食べなよ!」といつも共犯にしようとしてくる。別に食べたい気分でもない時には「いや、今いらんよ。ばぁちゃん食べたらいいじゃん。今コーヒー飲みたいんだし」と断ると、決まって「何よぅ!!」とちょっと怒るのだ。またある時は、ご相伴に預かると、いたずら仲間を見つけた様な笑顔で「食べよう食べよう。コレだけしかないからさ。食べちゃおうよ」とごきげんなのである。隠れて食べたいのだ。隠れて食べた方が美味しいのだ。

そして…。誰かと一緒に、隠れて食べると、もっと美味しいのだ。

 

ばぁちゃんはクリームソーダが好物で、キロ売りのバニラアイスと1.5Lのサイダーを、自分で買ってきては隠し持っていた。私の父が何処かから貰ってきた業務用冷凍庫が設置されると、ひ孫に見つからない様にアイスクリームはそちらに隠されていたし、お気に入りの三ツ矢サイダーは冷蔵庫ではなく物陰に置かれていた。夕食が終わると、ばぁちゃんはいそいそと自作のクリームソーダを持って、みんなのいる居間を通らない様に自室に運び込んでいた。

家族みんながその事を知っていたけど、みんな知らんぷりしていた。だって、隠れて食べた方が美味しいから。そして、ばぁちゃんは「クリームソーダ」だけは「アンタも食べなよぅ!」とは言わなかった。

隠れて食べる「クリームソーダ」は、格別の美味しさだったに違いない。