三輪車

おシズの話を聞いた限り、この人の強烈さは、きっと生まれつきだ。

昭和3年に生まれ、最初は一応小学校にも通っていた様だが、クラスに金持ちの家の子を見つけると、彼女の勉学に対する情熱は瞬く間に消え去ったと思われる。

その「お金持ちの家」に突撃して、「なんでも良いから仕事をくれ」と申し入れた。お金持ちは、こんな小さな子供にやらせられる様な仕事などないし、「仕事をくれ」=「見返りをくれ」であるのは明らか。

それでも哀れに思ったのか、おシズの押しが強かったのか(多分後者だけど)、お金持ちは渋々ながら、おシズに子守の仕事を与えた。同級生の弟だか、妹だか、そんなおチビさんと遊んでやってくれろ、という事だ。

おシズはおチビさんと2人で遊ぶことになった。

おチビさんは流石お金持ちの家の子である。「マイカー」所有者だった。

三輪のヤツね。

子守のおシズは、もうこの三輪車に乗ってみたくて堪らないので、そしておチビさん以外誰も見ていないので、そりゃもう、乗るっきゃないワケで。

小さな三輪車に、無理矢理体を捻じ込んで、爆走したのです。

楽しくて楽しくて夢中になって、おチビさんがすっかり飽きてどこかにいなくなったのにも気付かず、下坂を攻めたりしていたのです。

おチビさんは、暇なので構ってくれそうな大人の所に行っていました。

おシズ大目玉。そりゃそうだ。

しかしおシズはめげません。メンタルが鋼で出来ていたので、馘になっても当然の顔で「出勤」してきます。そのくせ、

「金持ちの家族は、おかずがいっぱいのご飯を食べてて、使用人はちょっとのご飯とおしんこ位しかないんだよ〜てぃっ」

※入れ歯は食事の時しか入れないので、いつも“ちぇっ”が“てぃっ”になっちゃうんです。(つーか、ばぁちゃん“ちぇっ”すぐ言うなし…。)

つまり子守の名目で入り込み、大人の目を盗んでは三輪車乗り回して、ちゃっかりご飯を頂いて帰る、と。そして毎日通ってくる…。厄介過ぎる…。

当時のそのお金持ちは、よっぽど余裕があったのか、おシズが鉄面皮過ぎたのか、孫としてはどんな理由でも、感謝せざるを得ない。ノーブレスオブリージュ、ここに有り。

 

おかげでばぁちゃんは、読み書きがあまり得意でなかったです。

そのくせ何でも書いておく人だもんだから、読むには慣れと、そしてセンスが必要でした。

しかもお気に入りの筆記具が「マジックインキ 極太」なんだよなぁ。何にでもそれで書く。

冷凍庫には「ダイゴノハァパ」(刻んだ「大根の葉っぱ」)

野菜室には「キベツ」「ヒイタケ」(「キャベツ」「椎茸」)

ポットには「オイウワイテル」(「お湯沸かしたてのアツアツだよ」)

今ウチの冷蔵庫には、実家から持って帰って来た「ウメシューウメ」がある。

元気になりたい時に、コッソリ食べる。

クリームソーダ

おシズは昭和3年に、千葉の勝浦だか、小湊ら辺で産まれた。

おシズのじいちゃんって人は、決して裕福でもなかったらしいんだけど、とにかく他人の為に身を粉にする様な、所謂「お人好し」だったらしい。

私がおシズから聞いた「おシズのじいちゃん」のエピソードは、

雨が降ると、アスファルト舗装なんてない時代だから、道が泥道になってグチャグチャになる。そこをみんなが通るのに困らない様に、大八車でせっせと砂だか乾いた土だかを運んで来ては、泥道を補修してたそうな。

とにかく他人の為にいつも全力投球な「おシズのじいちゃん」は、周囲の人達に有り難がられ、慕われる様なお人だったという。

その息子である「おシズの父ちゃん」という人は、絵に描いたような「酒浸りのクソ野郎」だった様だ。おシズには兄が1人、妹が2人、弟が1人と、幼くして亡くなった弟が1人いた様だけど、妹・弟達は後妻さんの子で、おシズの実母はおシズが産まれて間も無く離縁されていた。親父はさっさと再婚している。

とはいえ、昔の話だから、実母の住む家も徒歩圏内。おシズは一度だけ、母親に会いたくて実母の家まで行ったそうだが、「二度と来ちゃいけない」と言われて悲しかったと私に話した。

後妻さんは「シヅ子さん」だったが、親父が「おシズが2人では紛らわしいから」という理由で「カヅ子さん」に改名させられたらしい。何という安直。昔は珍しい事でもなかった様だけど。ともかくそのカヅ子さんは、あからさまに実子と継子に差を付けるタイプの「お母さん」だった。

「おシズが来る前に、早く食べちゃいなさい」とまんじゅうやミカンを貰っている妹達の姿を、陰から見ることが何度となくあって、おシズがその場に出て行ってみると、妹達がサッと後ろに隠す姿を、私は実演付きで何度も聞かされた。「惨めだったよぅ」と言っていた。

時代の所為もあっただろうが、おシズの「食」に対する執念とも呼べる執着と、甘いもん好き、そして「隠れてコソコソ食べるおいしさ」は、この頃に培われたと思われる。

 

ばぁちゃんは、しょっちゅう「隠れてコソコソ」団子やら何やら食っていた。

団子だろうがまんじゅうだろうが、好きなだけ食べたらいいものを、「コーヒーでも飲むかな」と階下に行くと、キッチンの床に座り込んでコチラに背を向け、コッソリ団子を食おうとしているばぁちゃんに出喰わす事が何度もあった。

気配を察知すると「ビクッ(バレたっ!)」という顔で振り向き、「アンタ、団子があるから1本食べなよ!」といつも共犯にしようとしてくる。別に食べたい気分でもない時には「いや、今いらんよ。ばぁちゃん食べたらいいじゃん。今コーヒー飲みたいんだし」と断ると、決まって「何よぅ!!」とちょっと怒るのだ。またある時は、ご相伴に預かると、いたずら仲間を見つけた様な笑顔で「食べよう食べよう。コレだけしかないからさ。食べちゃおうよ」とごきげんなのである。隠れて食べたいのだ。隠れて食べた方が美味しいのだ。

そして…。誰かと一緒に、隠れて食べると、もっと美味しいのだ。

 

ばぁちゃんはクリームソーダが好物で、キロ売りのバニラアイスと1.5Lのサイダーを、自分で買ってきては隠し持っていた。私の父が何処かから貰ってきた業務用冷凍庫が設置されると、ひ孫に見つからない様にアイスクリームはそちらに隠されていたし、お気に入りの三ツ矢サイダーは冷蔵庫ではなく物陰に置かれていた。夕食が終わると、ばぁちゃんはいそいそと自作のクリームソーダを持って、みんなのいる居間を通らない様に自室に運び込んでいた。

家族みんながその事を知っていたけど、みんな知らんぷりしていた。だって、隠れて食べた方が美味しいから。そして、ばぁちゃんは「クリームソーダ」だけは「アンタも食べなよぅ!」とは言わなかった。

隠れて食べる「クリームソーダ」は、格別の美味しさだったに違いない。

 

紅ショウガ

紅ショウガはお好きですか?

好き嫌い、かなり割れる食材だと思います。

子供の頃の私、紅ショウガって嫌いでした。なんかすっぱ辛いし。

 

ウチは両親共働きで、遠足なんかのお弁当はばぁちゃんが作ってくれる事も多かった。

たまに母親が作ってくれるお弁当が嬉しくて。

だって、他の子のお弁当ときたら、タコさんウインナーとかうさちゃんのりんごとか、イシイのおべんとくん・ミートボールとか、ABCポテトとか、今でいう「キャラ弁」みたいに凝った物は、流石にまだなかったけど、可愛らしいニコニコおにぎりに、カラフルでオシャンティなおかず達。うらやましかったなぁ。

でもばぁちゃんが作ってくれたお弁当も、母親が作ってくれるお弁当も、毎回おいしくいただいておりましたけどね、もちろん。

でも、子供ってやっぱ見てくれキラキラしたもんには、憧れてしまうのよ。

「可愛いお弁当にしてくれ」なんて言った事はなかったけども。モジモジ内気だった幼い私。

可愛い!!当時の私可愛い!!当時の私!!!泣。

 

ある日、その日もお弁当。

フタを開けると、なんと!おにぎりに顔がついていたのです!!

真っ白なご飯に海苔を切って貼り付けた毛、海苔を切って貼り付けた目、そして…

紅ショウガで出来た口。

1本でニコッ、じゃないの。2本で「上唇・下唇」なの。何このムダなリアリティ!!正直、可愛くない…。若干の狂気すら感じる…。しかも当時の私、もう小学校も高学年になっており、可愛いお弁当に憧れるピークはもう何年も昔に過ぎ去ってたんですよ。

でもね、ばぁちゃんなりに、可愛らしいお弁当を作ってあげようと、朝っぱら奮闘しながら、このお弁当を作ってくれたんだと思ったら、なんだかとってもじんわり嬉しくて…。

こりゃもう、帰ったらソッコーお礼を言うべき事案ですよ。

「ばぁちゃん、おにぎりが顔になってたよ。ありがとう!」

モジモジ。そしたらばぁちゃん、

「メンド臭かったけどねっ!!!ケッ!!!」

えええ〜…。思ってたんと違う…。孫を想う優しいおばぁちゃんと幼い孫の愛に溢れる会話とか、そんなんと全然違う…。なんか…、サーセンっした…。

 

でもね、ばぁちゃん、あれから私、紅ショウガ大好きになったんよ。

なんでかな。ガリは未だにそんな好きじゃないけど、牛丼にも焼きそばにも、紅ショウガがないと「物足りない」。細かく刻んで、おいなりさんのご飯に混ぜてあると嬉しくなる。巻寿司にちょっと入ってると「お、やるじゃねぇか!」と思う。

本当に、その日を境に、紅ショウガが好きになった。なんでかな。

 

今思い出すと「照れ隠しばぁちゃん」可愛いけど、当時はマジで「微妙なオチがついた件」だったんだけどな。

そんなばぁちゃんの幼少期、次回ちょっと書いてみましょうかね。

今日のところは、これでおしまい。

おシズと云ふ女

何から書き始めたらいいかな。

とかく、おシズってオンナは、あまりにエピソードが多過ぎて、何から書くべきか。

そうだな。まず、おシズってのは、私のばぁちゃんだということ。

いつもは「ばぁちゃんは、まだ生きてる」って事にして、自分を誤魔化しているんだけど、今日は「ばぁちゃんは、もう生きてない」ってなんとなく気がついちゃってて、なんだか寂しくて、

「そうだ、ブログを書こう。」

という気持ちになったのです。

 

本当なら、「おシズの一生」を時系列に書いていくのが正しいんだろうけど、伝聞の断片の繰り返しの集合なので、そこを整理するだけでライフワークになってしまう。

おシズ本人でなく、「私の知るばぁちゃん」なので、ノンフィクションでもあり、フィクションでもある。そこは最初にご了承願いたい。

 

じゃあ、書いていこうかな。

 

私は牛乳が好きだ。幼い頃から好きだ。牛乳でここまで大きくなったと言っても過言ではない。おかげで今はコレステロール値が高めで、大好きな牛乳をなるべく我慢せざるを得ないのですが…。

牛乳パックって、子供の手には大きいじゃない。

冷蔵庫から出すと、結露で滑るじゃない。それに重い。

子供用のコップとは、大概小さく作られてる。

でも幼い私は、牛乳が大好きなもんだから、飲みたいんですよ。どこにあるか知ってる。開け方もマスターしたし、コップに注げば飲める事も知っている。

で、溢すよねー。手から1000mlの牛乳パックが滑り落ちるんだもの。そりゃぁもう、盛大に溢れましたよ。昔の家ですから、和室の畳敷きに、カーペットを敷いてるんですね。そこに盛大に牛乳が溢れて、みるみる染み込んでいく訳。

幼い私は縮み上がりましたよ。まず頭を過ぎったのは、

「ばぁちゃんに怒られる!!!」

という恐怖。

地震、雷、火事、親父」なんて昔の人は言ったもんですが、当時の私にとって、恐いモノと言ったら、そりゃもう、「ばぁちゃん、ばぁちゃん、ばぁちゃん、ばぁちゃん!!!」だったのです。その怒号は雷の如く宙を引き裂き、大地は怒りに震え、怒髪天を突く如く怒り狂ったばぁちゃんのその姿は、火炎を携えた不動明王そのもの。

そして間も無くそのお不動様が、縮み上がった私と、カーペットに染み込んでいく牛乳を見つけるのです。泣くしかないでしょ。

カーペットを乱暴にゴシゴシと拭きながら、「臭くなっちゃうじゃないのよ!!」「牛乳の臭いは取れないんだよ!!」「アァーマァーマァー!!!」(コレは何かの真言かな?わかりませんが)と叫ぶばぁちゃん。泣く私。

ただ、それだけの事。

それが、幼い私とばぁちゃんの日常。

 

なんだかちょっと泣きそうになってきたので、今日はこれでおしまい。

おシズ先生の今後の活躍に、ご期待ください。